7日の王妃

7日の王妃は実話?史実との違いや実在した歴史の時代背景も調べてみた!

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三大スターが共演した『7日の王妃』は、心が締め付けられるような一途な恋や複雑すぎる時代背景が絡み合う、甘くて切ないラブストーリーです。

歴史上に実在する王や朝鮮史に残る伝説に沿ったような構成になっていることから、『7日の王妃』は実話ではないかと噂されています。

今回は、本当に実話に基づいてつくられたドラマなのか、史実との違いについて調べてみました。

実在した王たちの時代背景や歴史、本当はどんな王たちだったのかも気になりますよね。

こちらもしっかり調査してますよ。

では、史実との違いに注目しながら、歴史を紐解いていきましょう。

ぴよ吉
ぴよ吉
当時はどんな時代だったんだろう。

 

『7日の王妃』は実話?史実との違いを調べてみた!

『7日の王妃』は、朝鮮王朝歴代の王の中で、暴君として名を遺す燕山君が王座についていた時代の物語です。

波乱の予感がしますね。

 

『7日の王妃』は実話に基づいて作られたドラマだった!

パク・ミニョンが演じたシン・チェジョンのモデルになった人物は、7日間だけ王妃になった端敬王后という実在された方だったんです。

1506年、暴君であった燕山君に不満を持つ臣下たちが起こしたクーデターにより燕山君は王位を奪われ、島流しになってしまいました。

その後、11代の王中宗になったのが、異母兄弟の晋城大君。

この時、すでに結婚していた中宗は端敬王后を王妃としますが、燕山君に仕えていた高官の娘である端敬王后を追放するよう臣下から要求されてしまいます。

ひた吉
ひた吉
愛し合ってる2人を別れさせるなんてひどい!!

2人の深い絆は、朝鮮時代の伝説「チマ岩の伝説」として今でも語り継がれているんですよ。

クーデターの後、11代の王になった中宗は愛する王后を守れず、離縁せざるをえなくなってしまいました。

しかし、端敬王后を忘れられない中宗は、王宮の1番高い場所に行き、愛する人の実家を見てはため息をついて過ごしていたそうです。

その噂を聞いた端敬王后は、家の裏山の岩の上に王宮でよく身に着けていたチマ(スカート)を広げて自分の無事を知らせることにします。

それを見て中宗も、愛する人が元気で暮らしているのだと安堵したという切ない伝説です。

ぴよ吉
ぴよ吉
切なすぎるお話だなぁ。

 

史実との違いは?

『7日の王妃』では、燕山君の暴君ぶりが控えめになっていますが、歴代27代の王の中でも最悪と言われるほどの悪名高い王で、人を殺めることも平気だったと記録に残っています。

晋城大君は、秘密結社タニシのリーダーとして勇敢で行動力があるたくましい王子となっていましたが、実際は気が弱く、温厚な性格だったとのことです。

中宗が、死の間際に愛する人と会えたのかどうかについては、正式な記録が乏しく、尼姿の女性が会いに来たとか、会えずに亡くなったとかいろいろな説が流れて真相は不明のようですね。

個人的には、ドラマと同じであって欲しい!!

 

『7日の王妃』実在した歴史の時代背景も調べてみた!

燕山君と晋城大君はどんな環境で育ったのでしょうか?

2人の人生を覗いてみましょう。

 

燕山君と晋城大君の少年時代

燕山君の生母は、9代王成宗の王妃が病弱だったことから側室として入宮しました。

王妃の死後、2人目の王妃となりますが、貧しい両班の娘であることから、姑の仁粋大妃は猛反対をします。

しかし、元子(燕山君)を出産したことで、その地位を確固たるものになりました。

彼女はとても嫉妬深く、自分の地位を守ることに必死で、側室に毒を盛ったり、呪いのお札を送りつけたりと、数々の愚行を繰り返し、結局追放され毒殺されます。

当時6歳になっていた燕山君は、3番目の王妃で晋城大君の生母の元で育てられますが母に懐くこともなく、また、母からも祖母からも愛されることなく育ちました。

ここ吉
ここ吉
燕山君は愛し方も愛され方も知らずに育ったんだね。

一方、晋城大君は、母や祖母に愛され、穏やかに生活していました。

次期王の座を狙う燕山君のイジメに苦しめられていましたが、本人は、王座に就く気はなかったそうですよ。

彼は、11歳の時、1歳年上で燕山君に仕える高官の娘と結婚しています。

彼女が、後の端敬王后です。

ぴよ吉
ぴよ吉
対照的な幼少期を過ごしたんだね。

 

燕山君と晋城大君はどんな王だった?

まずは、10代王燕山君が王位についてからを見ていきましょう。

燕山君が18歳の時に、9代王の成宗が逝去し、成宗が遺した遺言通り燕山君が王位につきます。

しかし、燕山君を良く思っていない仁粋大妃は、王が未成年であることを理由に、決議権を握り、成人してからも政への関与を続けていました。

最初は、聖君になるよう努力していた燕山君でしたが、次第に王宮の頂点に立った自身の権威におぼれ、王としての務めを放棄してしまいます。

その後は宮殿に妓生を呼び宴会三昧の生活を送っていたが、ある日生母の死の真実とその関係者が王宮内に多数いることを知ってしまうんです。

激昂した燕山君は、生母の死に関係した人をすべて処刑することを命じ、彼の行為をとがめた内官たちも、皆殺されました。

気に入らないと殺してしまうという独裁者のようになっていきます。

反対に兄の後に王座についた、11代王中宗はどんな王だったのでしょうか。

18歳の時に王に担ぎ上げられて11代中宗になった晋城大君は、臆病で怯えてばかりでした。

最愛の王妃が逆賊の娘だからという理由で、廃位を強く求める臣下たちを抑えることができず離縁させられますが、その後再婚しています。

王として自らの理想に基づき改革を試みましたが、反対する臣下たちを抑えることができません。

温和な性格であったものの臆病で、優柔不断な面もありました。

お兄さんとは正反対ですね。

ドラマでは、2人の王に愛されたシン・チェギョンでしたが、歴史上でも対照的すぎる2人の王に振り回されたようです。

 

燕山君の失脚の背景は?

このまま燕山君を放置できないという動きが水面下で出始めます。

1506年、ついに宮廷クーデターが起こり、燕山君は失脚し、王位を剝奪され、江華島に島流しとなりました。

燕山君に仕えていた官僚や王子たちは皆処刑され、王妃は、廃位され、王女たちは奴婢にされてしまいます。

そして燕山君は、島流しから2か月後、亡くなったそうです。

あまりにも死が早かったため、暗殺説や持病の治療ができなかったからなどいろいろな説が出ているみたいですよ。

 

まとめ

『7日の王妃』は、実話に基づいて作られたという噂は本当でしたね。

物語上、史実との違いもありましたが、歴史上に実在した人物を登場させ、時代背景も見事に再現されていました。

『7日の王妃』では、逞しい中宗がなぜ王妃を守り切れなかったのか、歴史を調べて、理由が分かったような気がしますね。

この悲しすぎる2人の物語は、実在した純愛伝説として今でも語り継がれています。

時代背景が違っていたら、2人は幸せになれたのでしょうか。

ここまで、実話と史実との違いや歴史についてみてきました。

最後まで、お付き合いいただきありがとうございました。